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東京地方裁判所 平成9年(ワ)8792号 判決

原告 X

右訴訟代理人弁護士 堀合辰夫

同 中嶋公雄

同 岡本理香

被告 東京都

右代表者知事 石原慎太郎

右指定代理人 西道隆

同 野上三恵

同 島田恭一郎

同 鎌田信一

被告 国

右代表者法務大臣 高村正彦

右指定代理人 松村葉子

同 山口裕志

同 柴務

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、連帯して、二五五万五〇〇〇円及びこれに対する平成六年六月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が、強制わいせつ罪を被疑事実として警視庁警察官により緊急逮捕され、引き続き東京地方検察庁検察官により勾留請求されたため、釈放に至るまで合計一一日間にわたりその身柄を拘束されたところ、この緊急逮捕及び勾留請求はいずれも刑訴法上の要件を欠く違法な緊急逮捕及び勾留請求であり、また、原告が身柄を釈放された後、捜査を担当した警視庁警察官は、原告が勤務する会社の上司らに対し、原告が釈放されたとしても、あくまで警察は原告が強制わいせつ罪の犯人であると考えているなどと発言(以下「本件発言」という。)をしたため、原告は会社から自宅待機を命ぜられ、ひいては自ら退職することを余儀なくされたとして、被告らに対し、国家賠償法一条に基づき、連帯して、二五五万五〇〇〇円の慰謝料及びこれに対する平成六年六月二一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実等(末尾に証拠を掲げない事実は当事者間に争いがない。)

1  原告は、平成四年三月に亜細亜大学を卒業した後、同年四月から株式会社ヒューテックノオリン(以下「ヒューテック社」という。)に入社し、平成六年五月(以下、平成六年の年月日を表記するときは、平成六年の記載を省略する。)当時も同社に勤務していた。

2  原告は、六月七日午前七時五五分ころ、警視庁亀有警察署(以下「亀有署」という。)警察官政所壽保(以下「政所警部補」という。なお、同人の階級、所属は当時のものである。)らにより緊急逮捕(以下「本件緊急逮捕」という。)されたが、その被疑事実は、原告が、五月二五日、京成電鉄金町線柴又駅午前七時四一分発京成上野行き上り電車内において、京成高砂駅に到着するまでの間、女子高校生A子(当時一六歳。なお、事案の性質にかんがみ、仮名とする。)に対し、錐のような刃物を用いて脅迫し、A子の陰部に指を挿入するなどのわいせつな行為をしたというものである。

3  右強制わいせつ事件の送致を受けた東京地方検察庁検察官畝本毅(以下「畝本検察官」という。なお、同人の所属は当時のものである。)は、六月八日、東京地方裁判所に対し原告の勾留を請求したところ(以下「本件勾留請求」という。)、東京地方裁判所裁判官は、同月九日、原告について勾留状を発布した。

4  被害者A子及びその母親は、原告に対する告訴を取り消す旨の意思を表明し、同月一七日、両名の告訴取消書が東京地方検察庁に追送された。そのため、畝本検察官は、親告罪の告訴の取消しを理由として原告を不起訴処分とすることとし、右同日、原告を勾留している代用監獄の長である警視庁亀有警察署長に対し、原告の釈放を指揮した。原告は、右同日、釈放された(原告が釈放されたこと以外の事実について、乙一)。

5  原告は、同月二一日、ヒューテック社の秋元人事部長、岡村総務部長及び伊藤顧問と面会したところ、自宅待機を命ぜられ、同月二九日、ヒューテック社の子会社へ出向を命ぜられた。原告は、七月三一日、ヒューテック社を退職した(甲二、原告本人)。

二  本件の争点

1  本件緊急逮捕の違法性の有無

2  本件勾留請求の違法性の有無

3  本件発言の有無

4  原告の損害

三  争点に関する当事者の主張

1  争点1(本件緊急逮捕の違法性の有無)について

(一) 原告の主張

本件緊急逮捕は、刑訴法二一〇条一項にいう「罪を犯したことを疑うに足りる充分な理由」(以下「充分な理由」という。)がなく、「急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができない」場合に該当しないにもかかわらずなされたものである上、原告に対し緊急逮捕の「理由の告知」をしていないのであるから、違法である。

(1)  「充分な理由」について

被告らは、原告を犯人と特定するA子の供述の信用性を肯定し、原告について「充分な理由」があったと主張する。

しかし、<1>A子の供述によれば、原告は、身動きのできないほど混雑した車内において、A子と向かい合った状態で、左脇にセカンドバッグと英語の本を抱え、腕を体に沿わせ、左手に長さ一五センチメートルくらいの錐を持ち、A子の脇腹当たりに左手でその錐を突きつけながら右手をスカートの中に入れてわいせつ行為に及んだことになるが、この犯行態様は、絶対に不可能であるとはいえないものの、極めて不自然である。また、<2>犯行当日、車内は非常に混雑しており、しかもA子は錐を突きつけられて非常におびえた状況にあったにもかかわらず、A子は、髪型、顔の形、肌の色に至るまで、極めて詳細に犯人像を供述し、原告を犯人と断定している。しかし、至近距離で、しかも錐を突きつけられて緊張した上恐怖心で身もすくむ状況で、A子が犯人の顔を正面から見つめたとは考えられず、自分よりもかなり背が高い人間の髪型や容貌の全体像を把握することは困難である。また、京成金町駅から京成高砂駅までの走行時間はわずか三分ほどに過ぎず、そのような短時間で得られた記憶に基づいて、A子が、犯人像について、極めて詳細に観察、記憶し、供述できるかについては疑問がある。かえって、A子が事件前又は事件後に見た原告を犯人と認識し、特に事件後の捜査において認識した原告から犯人像を形成した可能性があるというべきである。さらに、<3>被告東京都は、原告を緊急逮捕した当日も、A子を車に乗せて車中から原告の面通しをさせ、犯人であると確認させているから、A子の供述は十分信用ができ、緊急逮捕について何ら違法性がないと主張するが、実際にそのような面通しがなされたかについては疑問があるばかりか、仮に面通しが実施されたとしても、そもそも、A子は、警察官の三日間にわたる同道捜査において原告を犯人と特定していたのであるから、逮捕の段階になって、原告を犯人とする供述を覆すはずがない。したがって、逮捕当日A子に面通しをさせたからといって、その供述の信用性を肯定できることにはならず、本件緊急逮捕の違法性を減殺する理由とはならない。そして、<4>犯人像に関するA子の供述は、年齢や髪型などについて不自然な変遷がみられるほか、五月二五日には肩掛けカバンをたすきがけにし、ヘッドホンステレオのイヤホンを耳に着用していた原告の実像とも乖離している。

このように、A子の供述は、信用性について重大な疑問があるにもかかわらず、政所警部補らは、A子の供述を安易に信用して本件緊急逮捕をしたもので、充分な理由は認められない。

(2)  緊急性について

原告は、政所警部補らに緊急逮捕すると言われてからもその場を動こうとした様子がなく、パトカーが来る間も警察官らと共にその場で待っていたのである。のみならず、そもそも警察官らは当初から原告を緊急逮捕する目的で逮捕現場に赴いていたのであるし、原告の緊急逮捕に当たった警察官の中には、原告に現実的な逃亡などのおそれを感じておらず、任意捜査の余地があったと認識している者もあったにもかかわらず、緊急逮捕をしたものであるから、本件緊急逮捕は「急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができない場合」には該当しない。

(3)  理由の告知について

緊急逮捕に当たっては、被逮捕者に対し、罪を犯した嫌疑が充分であること及び急速を要する事情のあることの双方を告げることが必要であるから、本件においては、政所警部補らは、原告に対し、原告の嫌疑が充分であること及び原告の住所氏名が判明していないために逃亡のおそれがあることの双方を告げることが必要であった。

ところが、実際には、政所警部補は、原告に対し、「五月二五日、電車の中で女の子にいたずらしただろう。」と声をかけ、原告がこれを否定していると、「逮捕する。」と申し向けており、急速を要する事情のあることは何ら告げていない。したがって、「理由の告知」を欠く本件緊急逮捕は違法である。

(二) 被告東京都の主張

(1)  「充分な理由」について

緊急逮捕の要件である「充分な理由」は、通常逮捕の要件である「罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由」より嫌疑の程度が高いことを要するが、勾留の要件である「罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由」より嫌疑の程度は低いもので足りる。そして、警察官が緊急逮捕した被疑者が、事後的に検察官により不起訴処分とされたり、刑事判決により無罪とされた場合であっても、警察官による緊急逮捕の時点において、証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により被疑者が罪を犯したと疑うに足りる充分な理由があれば、警察官が被疑者を緊急逮捕した行為は、国家賠償法上違法性を欠くと解すべきである。

本件においては、<1>犯行当日である五月二五日、A子は、車中において約五分間にわたり原告と向かい合っており、犯人の人相、特徴等を詳細に記憶していたこと、<2>A子は、被害にあった直後、同級生に被害にあったことを話していたこと、<3>A子は、登校後直ちに、担任教師らに対し、被害にあったことを届け出ていたこと、<4>A子は、被害の翌日である同月二六日にも、原告を犯人と特定し、その旨を同級生に話していたこと、<5>A子は、六月一日から三日までの各日、警視庁鉄道警察隊(以下「鉄警隊」という。)の分隊長小針久典(以下「小針巡査部長」という。)らが捜査を行う過程において、電車内や亀有駅構内で原告を発見、確認し、原告が犯人に間違いないと断言したこと、特に、同月一日にA子が原告を初めて発見した瞬間、脅えたような表情をして顔を横に逸らした状況があったこと、<6>小針巡査部長らが電車内において原告を尾行している間、原告は、女性の背後に忍び寄りその臀部付近に視線を向けていたこと、<7>逮捕当日も、A子は、柴又駅付近の路上において、捜査員に停止を求められた原告を直近から直視し、犯人に間違いないと断言した事実があるから、これらの事実によれば、警察官が原告を緊急逮捕した時点において、原告には本件強制わいせつ被疑事件を犯したと疑うに足りる充分な理由があったから、国家賠償法上、本件緊急逮捕に違法はないし、警察官が緊急逮捕の要件があると認めたことについて過失はない。

(2)  緊急性について

緊急逮捕の要件である「急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができないとき」とは、裁判官に通常逮捕状を請求していたのでは、仮に逮捕状が発付されていたとしても、これにより逮捕することが被疑者の逃亡又は証拠隠滅により不可能又は困難になる場合をいう。

本件においては、原告は、<1>犯行を否認し、<2>任意同行に応じる様子を全く見せず、<3>住所及び氏名を明らかにせず、<4>被害者が女子高校生であり、原告が被害者に対し証人威迫をすることも考えられたから、政所警部補らにおいて、裁判官に通常逮捕状を請求したのでは、仮に逮捕状が発付されていたとしても、これにより原告を逮捕することが、原告の逃亡又は証拠隠滅により不可能又は困難になることは明らかである。したがって、本件緊急逮捕は、緊急性の要件を満たすものであり、原告の主張は失当である。

(3)  理由の告知について

政所警部補は、原告を緊急逮捕する際、原告に対し、「君は、住所や氏名を明らかにせず、任意同行にも応じない。それに突然立ち去ろうとした。」、「君には、逃走と罪証隠滅のおそれがあるので、逮捕するが、今裁判官に逮捕状を求めることはできない。ここで緊急逮捕する。」と明確に申し向けた。

したがって、政所警部補は、原告に対し、急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができない旨を確実に告知しているから、原告の主張は失当である。

(4)  なお、原告は、当初、本件緊急逮捕の違法事由として、「充分な理由」の不存在のみを主張していたため、被告東京都は、本件緊急逮捕については専ら「充分な理由」の存否が争点であると判断し、政所警部補らの証人尋問を行った。しかし、原告は、右尋問が終了した後である第一四回口頭弁論期日において、突然、緊急性の要件及び理由の告知の要件の欠如を理由に、政所警部補らがした本件緊急逮捕手続の違法性を主張するに至った。

しかし、これらは、本訴提起の時点において判明している事項であるから、原告は、政所警部補らの証人尋問前に主張できたはずであるにもかかわらず、原告は、訴訟の終結段階になってこれらの主張を追加したのであるから、原告の右各主張は、時機に遅れた攻撃防御方法にほかならず、右主張に対し異議がある。

(三) 被告国の主張

(1)  「充分な理由」について

原告の嫌疑を裏付ける証拠は、被害者A子の被害状況及び犯人の特定に関する供述であるところ、A子は、被害当日に犯人を間近で目撃したものであり、供述は具体的で、同級生の供述によっても裏付けられていること、A子は未だ記憶が鮮明な被害の七日後から張り込み捜査に同行し、三度にわたり原告を発見して犯人と特定していること、さらに、緊急逮捕の当日にも、原告を確認し、犯人であることに間違いないと申し立てていることによれば、その供述内容に特段疑いを差し挟むべきところはない。原告が主張する事情は、いずれも、原告の憶測にすぎず、A子の供述に何ら不自然・不合理な点はない。

したがって、A子の供述によれば、原告には、「充分な理由」があったことは明らかである。

(2)  緊急性について

本件においては、警察官が原告に被疑事実を告げて任意同行を求めたところ、原告が犯行を否認し、氏名や住所を告げず、任意同行に応じなかったことに加え、被疑事実が凶器を使用した強制わいせつ罪という重大犯罪であることに照らせば、原告をその場で逮捕しなければ、逃走や罪証隠滅のおそれが高く、逮捕状を請求するいとまがなかったことは明らかである。

したがって、本件緊急逮捕に違法はない。

2  争点2(本件勾留請求の違法性の有無)について

(一) 原告の主張

原告が緊急逮捕された当日、原告の自宅及び勤務先であるヒューテック社について捜索が実施されたが、犯人が着用していたとA子が供述した青いポロシャツ(ラルフローレンのロゴ入り)、黄色い表紙の英語の辞書及び錐は、いずれにおいても発見されなかった。また、六月一四日、再度、原告の自宅において捜索が実施されたが、やはり原告の犯罪の裏付けとなるものは発見されなかった。

したがって、原告を犯人とする証拠は、被害者A子の供述のみであるが、前述のとおり、その信用性には疑問があり、かつ、逮捕後に実施された捜索では原告の犯行の裏付けとなる証拠は発見されなかったのであるから、原告が罪を犯したと疑うに足りる充分な理由があるとはいえない。また、畝本検察官は、本件緊急逮捕が緊急逮捕の要件を欠く違法な逮捕であることを容易に知ることができたはずである。それにもかかわらず、畝本検察官は本件勾留請求をしたのであるから、本件勾留請求は違法である。

(二) 被告国の主張

(1)  犯罪の嫌疑について

検察官がした勾留請求は、勾留請求の時点において、被疑者が罪を犯したと認めるに足りる相当の理由があり、かつ、勾留の必要性が認められる限りは、たとえ事後的に検察官が不起訴処分をなし、又は当該刑事事件について無罪判決がなされたとしても、違法の評価を受けることはない。そして、勾留の要件である「罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由」とは、捜査の流動性、迅速性、密行性などの事情にかんがみれば、有罪判決における事実認定の際に要求されるほど高度のものであることを要しないのはもちろん、公訴提起の際に要求される程度よりなお低いもので足り、具体的根拠に基づいて犯罪が行われたと認められる程度の嫌疑を指すと解すべきである。

畝本検察官は、<1>被害者A子は、明るい車内において、犯人と対面した状態で被害に遭い、数分間にわたり、至近距離から犯人を目撃しており、しかも、A子の供述は、年齢、容貌、身長、体格、服装、所持品など犯人の特徴に関して具体的かつ詳細であり、それ自体信用性が高いものであること、<2>A子の供述は、原告が英語の本(なお、A子は英語の辞書と特定したわけではない。)及び犯人の服装とほぼ一致する着衣を所有していたことや、通勤時において原告がセカンドバッグを所持していたことなどの点において、物的証拠による一応の裏付けがなされていたこと、<3>A子は、事件直後に、同級生に対し犯人の特徴を供述しているところ、その供述は、同級生の供述によって信用性が補強されていたこと、<4>A子は、犯人の人相について「学生風」と供述していたところ、犯行当時、犯人がジーパンを着用していたというA子の供述及び原告自身事件当日はジーパンで通勤していたことを自認していることに加え、原告の年齢(当時二五歳)を併せ考慮すれば、A子が「学生風」と感じたとしても何ら不自然ではなく、また、原告の自宅で発見された英語の本が、事件当時に犯人が所持していたものと同一であるかについては確認できなかったものの、原告には渡米経験があり、英語に関して相応の興味・関心があったものと推認できることからして、原告は、「英語の本を持っていた男」というA子が供述する犯人像に該当する可能性が認められ、捜査記録上、A子の供述の信用性に疑いを差し挟むべき状況が見当たらなかったこと、<5>畝本検察官自身が原告の弁解を録取したときに現認した原告の容貌・体格は、A子の供述する犯人像と一致していたこと、<6>A子の捜査機関に対する被害申告は、事件の二日後になされたものであるが、A子は被害当日に同級生及び担任教諭に対し被害事実を打ち明けていたのであるから、被害申告の遅れがA子の供述の信用性を減殺するとは認められなかったこと、<7>事件当時、原告はA子が被害にあった電車に乗車していたことを認めており、アリバイは成立しないと認められたこと、などの諸事情から、A子の供述の信用性に重大な疑いを生じさせる事情はなく、原告の犯罪の嫌疑が認められると判断したものである。

そして、前記<1>ないし<7>の事情にかんがみれば、畝本検察官の右判断は、本件勾留請求の時点において、具体的な根拠を有し、合理的であったことは明らかであるから、原告の主張は失当である。

(2)  勾留の理由について

本件は凶器を使用した強制わいせつ事案であって、処罰の必要性は極めて高く、被害者威迫のおそれもある事案である上、原告は犯行を否認しており、凶器とされた錐ようのものも未発見であったこと、原告は独身で身軽な境遇にあったことなどの事情にかんがみれば、原告について、刑事訴訟法六〇条二号及び三号に該当する事由があったというべきである。

(3)  このように、本件被疑事件について畝本検察官がした本件勾留請求は、平成六年六月八日の勾留請求の時点までに存在した捜査資料に照らし、原告について「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」があり、かつ、勾留の理由があったことは明らかであり、畝本検察官において、なすべき捜査を怠り又は証拠の評価を誤ったなどの事情は何ら認められないのであるから、本件勾留請求に国家賠償法一条一項所定の違法性が存在しないことは明白である。

3  争点3(本件発言の有無)について

(一) 原告の主張

(1)  ヒューテック社の岡村総務部長及び伊藤顧問は、捜索後何の連絡もないので、六月二〇日ころ、亀有署に抗議に赴いたところ、応対に出た政所警部補は、「原告の釈放は告訴取り下げによる釈放であって、警察としては、原告を犯人だと思っている。」と発言した。

そのため、原告は、釈放直後は直属の上司から現職復帰との内諾を得ていたにもかかわらず、その後職場への復帰が認められず、同月二九日、子会社への出向を命ぜられた。しかし、原告は、この措置を受け入れることは、自分の責任で会社に迷惑をかけたことを認めたことになると考え、七月三一日付けでヒューテック社を退社した。

(2)  このように、原告がヒューテック社を退職せざるを得ない事態に追い込まれたのは、政所警部補が、原告を犯人と決めつける軽率な言葉を発したためである。

(二) 被告東京都の主張

原告の主張のうち、六月二一日、ヒューテック社の岡村総務部長及び伊藤顧問が亀有署を訪ねてきたこと、応対に出た政所警部補が、岡村総務部長らに対し、原告に対する告訴が取り消され、原告は釈放された旨を告げたことは認める。岡村総務部長らが抗議のため亀有署に来たとの点、政所警部補が「原告の釈放は告訴取り下げによる釈放であって、警察としては、原告を犯人だと思っている。」と言ったとの点は否認し、その余は不知。

政所警部補は、原告の勤務先であるヒューテック社について捜索が行われ、その際、岡村総務部長が立会人となったことを知っていたことから、原告を強制わいせつの被疑者として捜査したこと、原告の自宅やヒューテック社を捜索したが、原告の犯行を直接裏付ける証拠は発見されなかったこと、被害者A子らが原告に対する告訴を取り消したため、原告は不起訴処分に付され、釈放されたことなどを説明したが、「原告の釈放は告訴取り下げによる釈放であって、警察としては、原告を犯人だと思っている。」などという軽率な言葉を発したことはない。

4  争点4(原告の損害)について

(一) 原告の主張

(1)  原告は、六月七日に緊急逮捕されてから同月一七日に身柄を釈放されるまでの間、合計一一日間にわたり身柄を拘束され、精神的損害を被った。この精神的苦痛に対する慰謝料としては、一日当たり五〇〇〇円として、合計五万五〇〇〇円とするのが相当である。

(2)  また、原告は、強制わいせつ事件の被疑者として人目の多い場所で逮捕され、警察署まで連行され、自宅及び勤務先であるヒューテック社の捜索を受け、家族に心配をかけるなどの精神的損害を被ったばかりか、政所警部補の軽率な言葉により、ヒューテック社を退職せざるを得ない事態に追い込まれた。これらの精神的苦痛に対する慰謝料は、少なくとも二五〇万円を下らない。

(3)  よって、原告は、被告らに対し、国家賠償法一条に基づき、右二五五万五〇〇〇円及びこれに対する違法行為の後である平成六年六月二一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(二) 被告らの主張

損害に関する原告の主張は争う。

第三争点に対する判断

一  前提となる事実

1  原告が緊急逮捕されるまでの経緯について

証拠(甲二、三の1、2、六、乙一、丙一ないし九、証人國松敏雄、同小針久典、同政所壽保、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 五月二五日、A子は、通学のため、京成金町駅を午前七時三九分に発車する京成電鉄金町線京成上野行き上り電車に乗車し、その先頭車両から二両目、進行方向三番目左側のドア付近に、同級生二名と共に立っていた。

この電車は、柴又駅を同時四一分に発車するが、原告は、京成高砂駅で都営地下鉄浅草線の直通電車に乗り換えるために便利であることから、特別の事情がない限り、柴又駅からこの電車に乗ることとしていた(甲二、三の1、2、乙一、丙一、証人國松、原告本人)。

(二) 電車が柴又駅を過ぎた同日午前七時四一分過ぎころ、何者かがA子と向かい合って立ち、右手で制服のスカートの上からA子の陰部を触ってきた。A子は、これを避けようとして体を後ろにずらしたにもかかわらず、犯人は、スカートの上から陰部を触り続け、さらに、セカンドバッグと本を左脇に挟み、錐のような刃物(柄の部分が約一五センチメートル、先端の金属刃体部分が約三センチメートルのもの)を左手に持ち、左腕を体側に沿って下に伸ばしてA子の右脇腹に突きつけ、右手をスカートの中に入れて陰部を触り、また陰部の中に指を入れた(以下「本件事件」という。)。

A子は、刃物を突きつけられた恐怖のため同級生に助けを求めることができなかったが、犯人とほぼ正対して向き合っていたことから(なお、当時のA子の身長は約一六四センチメートルであった。)、電車が京成高砂駅に到着するまでの間、犯人の顔を何度か直視した(甲三の1、2、丙一、四、証人國松、同政所)。

(三) 同日午前七時四四分ころ、電車が京成高砂駅に到着すると、A子はホームに降りようとしたが、犯人がカバンを捕まえて離そうとしなかったため、カバンを引っ張り、ようやくホームに降りることができた。そして、A子は、電車から降りた直後、混雑のため電車内で離れ離れになってしまった同級生に対し、ショックのため泣きながら、「今、痴漢にあった。」と話した。

A子は、登校した後、担任教諭に対し、被害事実を申告したところ、A子が通学する高等学校の生活指導担当教諭は、右同日、鉄警隊上野分駐所に対し、A子が、通学途中、電車内で錐のような刃物を脇腹に突きつけられて脅迫された上、陰部などを触られる被害にあった旨電話で連絡をした。連絡を受けた鉄警隊の小隊長國松敏雄(以下「國松警部補」という。)は、A子から事情を聴取するため、右生活指導担当教諭に対し、鉄警隊の上野分駐所に出頭するよう要請した(甲三の1、2、丙一、四、証人國松、同政所)。

(四) 同月二六日、京成金町駅を午前七時三九分ころ発車する京成上野行き上り電車において、A子は犯人を見かけた。ただし、このときは、A子は、犯人に顔を見られるのが怖かったことから、犯人の服装を記憶していない(丙一、四、証人國松、同政所)。

(五) 同月二七日、A子、その母親及びA子の担任教諭は、鉄警隊上野分駐所に出頭した。A子は、國松警部補に対し、通学途中の京成線柴又駅から京成高砂駅までの電車の中で、錐のような刃物を右脇腹に突きつけられて陰部を触られたという内容の被害届を提出するとともに、犯人について、「年齢二〇、二一歳くらい、身長一八〇センチメートルくらい、ガッチリとした感じの体格、色黒、角顔、細くてつり上がった感じの大きい目、細くてつり上がった眉毛、一見大学生風、分け目があったがオールバックの髪型(ただし、被害届には七・三分けと記載されている。)、青色の長袖シャツ(胸にラルフローレンの赤いポロマーク入りのもの)と青色のジーパンを着用し、黒っぽいセカンドバッグと黄色い英語の本を持っていた。」と述べた(丙一、四、証人國松、同政所)。

(六) 國松警部補は、A子が犯人の人相や服装などをよく記憶していることなどの理由から、その供述は信用できると認め、本件犯行が凶器で脅迫した上陰部に指を入れるなど悪質であったことから、早急に捜査を行う必要があると判断し、翌二八日ころ、小針巡査部長らに対し、本件事件の捜査を行うよう指示した(丙一、二、証人國松、同小針)。

(七) 同月三一日午前七時過ぎ、小針巡査部長、鉄警隊上野分駐所所属の警察官である雨宮巡査及び鉄警隊東京分駐所所属の婦人警察官である中山巡査は、JR常磐線亀有駅のホームでA子と待ち合わせて、A子が被害にあった電車である京成金町駅午前七時三九分発の京成上野行き上り電車の前から二両目、進行方向三番目左側のドア付近に実際に乗車し、犯人を特定するための捜査を実施した。亀有駅で待ち合わせた際、小針巡査部長は、A子から改めて犯人の人相などの説明を受けた。それによれば、犯人は、身長約一八〇センチメートル、えらが張って頬骨が張った角顔、細くて切れ長のつり上がった目、細くて長いつり上がった眉毛、高くて細い鼻の男であった。

小針巡査部長らは、あらかじめ、A子との間で、犯人が現れたときには、A子が右手を左の肩に上げたりするなどのブロックサインで知らせる旨決めてあった。中山巡査はドア付近に立ったA子の直後に立ち、小針巡査部長及び雨宮巡査はその付近に立って、電車内の乗客の動向などを監視したが、結局犯人を発見することができなかった(丙一、二、五、証人國松、同小針)。

(八) 小針巡査部長らは、六月一日も、A子とともに、京成金町駅午前七時三九分発京成上野行き上り電車の前から二両目進行方向左側三番目のドア付近に乗車し、被疑者特定の捜査に従事した。A子は、柴又駅から同電車二両目進行方向二番目のドア付近に乗車してきた、年齢二〇歳から二六歳くらい、身長約一八〇センチメートル、角顔、細目、オールバックの髪型で、モスグリーンの背広上下を着用し、手に黒いセカンドバッグを持った会社員風の男を発見すると、左側に九〇度体を反転させ、中山巡査に対し、その男が犯人であると伝えた。そして、中山巡査は、小針巡査部長に対し、ブロックサインで、犯人が現れたことを伝えた。小針巡査部長は、A子が、その男を発見した瞬間、おびえたような顔をして横を向いたのを認めた。

A子が犯人と認めたその男は、京成高砂駅で電車を降りたので、小針巡査部長らも下車し、追尾したが、階段を上ったところで見失ってしまった(丙一、二、五、証人小針)。

(九) 同月二日、小針巡査部長らが、京成金町駅午前七時三九分発の電車に乗車して同様の捜査をしていると、右(八)と同一人物(なお、このときも、その男はモスグリーンの背広上下を着用していた。)が、柴又駅のホームに立っているのが電車の中から見えた。その男が電車に乗車すると、A子は、再び、中山巡査に対しその男が犯人であると口頭で伝え、中山巡査は、小針巡査部長に対し、犯人が現われたことをブロックサインで伝えた。

男が京成高砂駅で下車すると、小針巡査部長と雨宮巡査は、その男を直近から尾行した。男は、JR総武線浅草橋駅で両国駅方面の電車を並んで待っている間、最初は男性の後ろにいたが、乗車する段になると黄色い服を着た女性の後ろに続いて乗り込んだ。小針巡査部長らは、男が、ドアの入り口付近に立ち、その女性の尻の当たりに痴漢特有の目線を向けていたものと判断した。

男はJR両国駅で下車すると、改札口から一〇〇メートルほど離れたビルに入った。小針巡査部長らは、そのビルの名称を確認すると、國松警部補の指示に従い、そのビルの付近で約一時間にわたり張り込み捜査をした。しかし、男が現れなかったので、小針巡査部長らは、一旦上野分駐所に戻ると、國松警部補の指示により、退社時間を狙って再び右ビル付近で張り込みをしたが、結局男は現れなかった(丙一、二、五、証人國松、同小針)。

(一〇) 同月三日、小針巡査部長らは、A子とともに、柴又駅の改札口付近にあるトイレの入り口の内側で、張り込み捜査を実施した。すると、右(七)ないし(九)の男と同一人物(この日は、白いワイシャツとジーンズを着用していた。)が現われたが、後ろを振り返るなどして警戒する様子であり、張り込みを察知される危険があったため、小針巡査部長らは、國松警部補に報告した上、その日の捜査を中止した(丙一、二、六、証人國松、同小針)。

(一一) 同月四日、亀有署が本件事件の捜査を引き継ぐことになった。亀有署刑事課係長末吉信夫(以下「末吉警部補」という。)は、右同日、A子を亀有署に呼び出し、被害状況や犯人の容貌、服装などについて聴取するとともに、A子から本件事件当時着用していた制服の任意提出を受け、犯行状況を再現して写真撮影を実施するなどの捜査を実施した。

なお、このときも、A子は、犯人について、年齢二〇ないし一二歳くらい、身長一八〇センチメートルくらい、体格はガッチリとしていて、色黒、角顔で細目の一見大学生風の男で、胸にラルフローレンの赤いマークが入った青色シャツと青色のジーパンを着用しており、黒っぽいセカンドバッグと黄色い表紙の英語の本を持っていたと供述している(丙三、四、証人政所)。

(一二) 亀有署刑事課強行犯係長政所警部補は、それまでに作成された捜査書類を検討した上、同月五日、本件事件当時A子と一緒に電車に乗っていた同級生を亀有署に呼び出し、亀有署刑事課佐々木巡査部長に事情を聴取させた。右同級生は、事件当日である五月二五日、A子は、京成高砂駅で電車を降りた直後、右同級生に対し、痴漢の被害にあったことを泣きながら話していたこと、その翌日である五月二六日にも、A子は、右同級生に対し、京成金町駅午前七時三九分発京成上野行き上り電車に乗車中、柴又駅から乗車してきた犯人を発見したことを話したことを述べた。

また、政所警部補は、六月五日、A子から事情を聴取した。A子は、犯人の人相や着衣について、細く、長く、つり上がった目と眉、全体的にオールバックのようになっているが分け目のある髪型、ラルフローレンのポロマークの付いた青い長袖のシャツを着用していたなどと供述した。なお、政所警部補は、性犯罪の前歴者の写真及び似顔絵など合計五〇枚程度を利用して写真面割捜査も実施したが、犯人の特定には至らなかった(丙四、証人政所)。

(一三) 同月六日、政所警部補は、以上の捜査の結果、A子の供述は信用することができ、その供述に係る男が本件事件の犯人であると判断し、男から事情を聴取するため、柴又駅に現れた男に対しまず任意同行を求めることとするが、男が任意同行に応じないときは、当時男の住所や氏名が判明していなかったことなどから、罪証隠滅及び逃走のおそれがあるため、緊急逮捕してその身柄を確保する方針を定めた(丙四、証人政所)。

(一四) 同月七日の午前七時すぎころ、亀有署署員(政所警部補、末吉警部補及び佐々木巡査部長)並びに鉄警隊捜査員(小針巡査部長、雨宮巡査及び中山巡査)は、亀有署に集合した後、A子を同行して柴又駅に赴き、午前七時二〇分ころ到着した。政所警部補、末吉警部補、小針巡査部長及び雨宮巡査は、柴又駅改札口付近の歩道で張り込みを開始し、佐々木巡査部長及び中山巡査は、柴又駅切符売場前に駐車させた捜査用車両のワンボックスカーにA子を同乗させて待っていた。

京成金町駅午前七時三九分発の電車が柴又駅を発車する予定時刻である午前七時四一分になっても、男は柴又駅に現れなかった。そのため、政所警部補らは、改札口から柴又帝釈天の参道に向かって歩いて進んだ(丙二ないし四、七、八、証人小針、同政所)。

(一五) 同日午前七時五〇分ころ、原告は、グレーの背広を着用し、黒いセカンドバッグを持って、出勤のため、右参道から柴又駅改札口の方向に向かって歩いていた。帝釈天参道に向かって歩いていた小針巡査部長は、Hanako美容室付近で原告を発見すると、右手の人差指を何回か振って末吉警部補に合図し、この男が犯人だと伝えた。政所警部補は、捜査用車両の中にいた佐々木巡査部長に対し、末吉警部補が質問をしている間に車両をその場所付近に移動させ、同乗していたA子に原告が犯人であるか面通しをさせるよう命じた。

末吉警部補は、大黒鮨前路上で原告を呼び止めると、警察手帳を示し、「亀有署の者だが、五月二五日の朝、君は、京成線の柴又駅から高砂駅に向かう電車の中で、女子高校生に対して、錐のような凶器を使っていたずらしただろう。」と申し向けた。原告は、顔色を変え、「知りません。どうして私だと分かるんですか。」などと言って犯行を否認した。そこで、政所警部補は、原告に対し、「君は、電車の中で被害者と向かい合って立っていたんだぞ、知らないはずはないだろう。嘘をついてはだめだ。」などと申し向け、原告に対し「駅前ではゆっくり話ができないので、亀有署まで来て欲しい。」などと言って任意同行を求めた。しかし、原告は「行く必要はありません。私はやっていません。仕事があります。」などと言って、これに応じなかった。また、政所警部補は、原告に対し住所や氏名を尋ねたが、原告は答えなかった。

しばらく政所警部補らと原告の小競り合いの状態が続いた後、原告は、末吉警部補の左脇を通って、足早に改札口の方へ向かおうとした(甲二、六、丙二ないし四、七、八、証人小針、同政所、原告本人)。

(一六) この間、佐々木巡査部長は、A子を乗せた捜査用車両を大黒鮨前にある鳥居の付近まで移動させ、鳥居の前で一旦停止させると、車内から、鳥居の手前にある橋の上にいた原告を面通しさせた。A子は、捜査用車両の三列目右側当たりに中山巡査と並んで座っていたが、面通しの時は窓側で原告を確認した。

A子は、原告が犯人に間違いないと述べ、佐々木巡査部長は、この結果を政所警部補に伝えた(丙二ないし四、七、八、証人小針、同政所)。

(一七) 政所警部補は、これまでの捜査結果やA子の面通しの結果を踏まえて、原告が本件事件を犯したと認めるに足りる充分な理由があると認め、原告が犯行を否認し、住所や氏名を明らかにしないままその場を足早に立ち去ろうとしていることから、直ちに原告を逮捕しなければ証拠隠滅や逃走のおそれがあると判断した。

そこで、政所警部補は、同日午前七時五五分ころ、前記大黒鮨前路上において、原告に対し、緊急逮捕する旨を告げ、末吉警部補らとともに、原告を逮捕した。

その際、逮捕の現場において、政所警部補らは、原告の身体を捜索したが、錐のような刃物など証拠品を発見することはできなかった。政所警部補らは、原告から黒いセカンドバッグの任意提出を受け、領置した(丙二ないし四、七ないし九、証人小針、同政所)。

(一八) 政所警部補らは、同日午前八時一七分ころ、原告を亀有署司法警察員に引致し、原告に対し、犯罪事実の要旨及び弁護人を選任できる旨を告げた上、弁解の機会を与えたところ、原告は、柴又駅から京成高砂駅に向かう電車の中でA子に対し痴漢行為をしたことはないと述べて犯行を否認した。しかし、原告は、事件当日である五月二五日にも柴又駅午前七時四一分発の京成上野行き上り電車に乗車していたこと及び自分の身長は一七八センチメートルであることを認める旨の供述をしたので、政所警部補は、これらの供述を録取し、調書を作成した。

政所警部補が原告を取り調べている間、佐々木巡査部長は、透視鏡を使ってA子に原告を再度確認させたところ、A子は、再び、原告が犯人に間違いないと述べた。そして、A子及びその母親は、亀有署司法警察員に対し、右同日、原告を強制わいせつ罪でそれぞれ告訴した(丙三、四、証人政所)。

2  原告が緊急逮捕されてから釈放されるまでの経緯について

証拠(甲二、四、乙一、丙四、証人政所壽保、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 亀有署司法警察員小野寺國夫(以下「小野寺刑事課長」という。)は、六月七日午前一〇時四〇分ころ、葛飾簡易裁判所裁判官に対し、原告に対する逮捕状を請求したところ、同裁判所裁判官は、右同日、原告に対する逮捕状を発付した。また、小野寺刑事課長は、右同日、原告方居宅、原告が使用している自動車(原告の父親が所有しているもの)及び原告の勤務先であるヒューテック社に対する捜索差押令状を請求したところ、同裁判所裁判官は、右同日、右捜索差押令状を発付した(乙一、丙四、証人政所)。

(二) 政所警部補は、同日午後三時三〇分ころから、原告の母親を立会人として、原告の居室を捜索した。政所警部補は、原告の所有と認められる青色ジーンズ、薄緑色の長袖シャツ(胸にラルフローレンのポロマークが入ったもの)及び英語の本一冊(「HIDDEN SAN FRANCISCO」と題するもの)を発見したので、これらを差し押さえるとともに、原告の母親から、成人向けビデオテープ一八本などの任意提出を受け、領置した。また、政所警部補は、引き続き、午後五時ころから、原告の父親が所有する自動車も捜索した。さらに、亀有署刑事課相原警部補は、同日午後三時四〇分ころから、ヒューテック社において捜索を実施した。

しかし、これらの捜索によって、錐のような刃物などの証拠品を発見することはできなかった(甲二、乙一、丙四、証人政所、原告本人)。

(三) 亀有署司法警察員は、以上の捜査を遂げた上、同月八日、東京地方検察庁検察官に対し、原告を身柄付きで送致した。

本件事件の送致を受けた畝本検察官は、一件記録を精査した上、原告について弁解録取の手続をとったところ、原告は、司法警察員に対する供述と同様、事件当日に柴又駅発午前七時四一分の京成上野行き上り電車に乗車したことは間違いないが、A子に対しわいせつな行為をしたことはないと述べたので、畝本検察官は、その旨供述調書に録取した。また、原告は、事件当日は青色ジーパンを着用して通勤していたこと、学生時代に五か月程度渡米した経験があることも供述した。

なお、弁解録取のときに畝本検察官自身が見た原告の人相は、A子の供述内容と一致した(乙一、丙四、証人政所)。

(四) 畝本検察官は、以上の証拠関係から、原告は本件事件を犯したことを否認しているものの、A子の供述は具体的かつ詳細であり、同級生の供述と合致し、物的証拠による一応の裏付けがあるため信用することができるなどの理由から、原告には罪を犯したと認めるに足りる相当の理由があると判断した。また、畝本検察官は、原告が犯行を否認している上、錐のような凶器などの物証が未発見であったことから、原告には罪証隠滅のおそれがあり、本件事件が凶器を利用した悪質なものであることや、原告が独身で身軽な境遇であることなどからすれば逃亡のおそれも否定できないと判断した。

そこで、畝本検察官は、右同日、東京地方裁判所裁判官に対し、原告の勾留請求をしたところ、同裁判所裁判官は、同月九日、原告について勾留状を発布した(乙一)。

(五) 勾留後、引き続いて政所警部補らが原告の取調べに当たったが、原告から自らの犯行を自認する旨の供述を得ることはできなかった(乙一、丙四、証人政所)。

(六) 畝本検察官は、本件事件の動機及び背景を解明するためには、原告の性癖が如実に反映されるその居室を検証することが必要であると判断し、亀有署に対し、原告方居室の検証を指示した。政所警部補は、葛飾簡易裁判所裁判官から検証許可状の発付を受けた上、同月一四日、畝本検察官立会いの下、原告方居室の検証を実施したが、錐のような凶器などの物的証拠を発見することはできなかった。

畝本検察官は、右検証が終了した後、亀有署に出向き、あらかじめ呼び出していたA子に対し、透視鏡越しに原告の面通しをさせたところ、A子は犯人に間違いがない旨供述したので、畝本検察官は、その旨を録取した供述調書を作成した(乙一、丙四、証人政所)。

(七) A子の供述調書作成手続が終了し、畝本検察官がA子を母親が待つ待合室に送り届けたところ、母親は、畝本検察官に対し、「今後もこうした取調べが続くのですか。」という趣旨の質問をした。そこで、畝本検察官は、母親に対し、原告が犯行を否認しているために捜査は慎重を期す必要があり、勾留期間中にもう一度被害状況全般にわたる事情聴取を行う予定であることや、仮に原告が犯行を否認したまま起訴したときは、公判廷においてA子に証言してもらう必要があることなどについて説明した。

すると、A子の母親は、畝本検察官に対し、告訴の取り消しが可能であるかについて質問した。畝本検察官は、告訴の取り消しは可能であるが、A子自身の意思も十分尊重しなければならないため、本人とよく話し合い、本当に告訴を取り消したいのであれば亀有署経由で自分に連絡してもらいたいと答えた(乙一、丙四、証人政所)。

(八) 亀有署から畝本検察官に対し、同月一六日ころ、A子及びその母親の両名とも告訴を取り消したいとの判断に至った旨の報告があり、勾留満期日である同月一七日、告訴取消書が追送されてきた。畝本検察官は、A子の母親に対し、告訴の取消意思に間違いがないかを確認した上、右同日、原告について親告罪の告訴取消を理由として不起訴処分とし、亀有署長に対し、原告の釈放を指揮した。原告は、右同日、釈放された(甲二、四、乙一、丙四、証人政所、原告本人)。

二  争点1(本件緊急逮捕の違法性の有無)について

1  「充分な理由」について

(一) A子供述の信用性について

(1)  前記一の1認定の事実によれば、政所警部補らが、原告を緊急逮捕するに当たり、原告が「充分な理由」があると判断した主要な根拠は、原告を本件事件の犯人と断定するA子の犯人識別供述であると認められる。そこで、以下、右供述の信用性について検討する。

前記一の1認定の事実によれば、<1>A子は、通学のために乗車した電車内で、犯人と向かい合った位置で、電車が柴又駅を過ぎた午前七時四一分過ぎころから京成高砂駅に到着する同七時四三分ころまでの間わいせつ行為を受けていたのであり、その間にA子は何度か至近距離で原告の顔を見ている(なお、A子の身長は当時約一六四センチメートルであるところ、原告の身長は一七八センチメートルであるから、A子が原告の人相などを観察することは十分可能である。)ことから、A子は、犯人の人相、服装、特徴などを十分観察し、記憶する機会と時間があったものと認められること、<2>A子は、京成高砂駅で電車を降りた後すぐに、一緒に右電車に乗車した同級生に対し、泣きながら、痴漢の被害にあったことを述べており、この事実は同級生の供述とも合致すること、<3>A子は、被害の翌日である五月二六日にも、通学途中の電車で原告を発見すると、本件事件の犯人であると識別し、この旨を同級生に話しており、このことも同級生の供述と合致すること、<4>A子は、被害当日に、通学する高校の担任教諭に対し、痴漢の被害にあった事実を申告し、二日後である同月二七日に鉄警隊に対し被害事実を申告し、國松警部補に対し犯人像について供述しているのであり、被害から短期間で記憶がまだ鮮明な状態で犯人像について供述したと考えられること、<5>A子は、六月一日から三日までの捜査において、同行した小針巡査部長らに対し、一貫して、原告を犯人であると指摘していること、<6>A子は、犯人像について、年齢(二〇、二一歳くらい)、身長(約一八〇センチメートル)、服装(ラルフローレンの赤いポロマークの付いた青い長袖のシャツ、青色のジーンズ)、顔立ち(えらの張った角顔、細くてつり上がった目など)、所持品(黒いセカンドバッグ、黄色い表紙の英語の本)など具体的な内容の供述をしており、しかも、これら犯人像の主要な特徴について、その供述が終始一貫していること、<7>A子は、政所警部補が原告を緊急逮捕する直前にも、車中から原告を犯人であると確認していることを認めることができる。

以上によれば、原告を本件事件の犯人と断定するA子の供述内容には、その信用性を疑うべき理由は、格別認められないというべきである。

(2)  これに対し、原告は、A子の供述に係る犯行態様が不自然であるなどと主張して、A子の供述は信用できないと主張する。

しかしながら、まず犯行態様について検討すると、前記一の1認定の事実によれば、A子が乗車した京成金町駅午前七時三九分発の電車は非常に混雑していたことを認めることができるが、このような状況で、左脇にセカンドバッグと本を抱えたまま、左手に錐のような刃物を持ってA子の右脇腹に突きつけて脅迫し、右手でわいせつ行為に及ぶという犯行態様が不可能、不自然であるとはいえない。また、前述のとおり、A子の観察条件に疑いを差し挟むべき具体的事情を窺わせる証拠はなく、かえって、前記判示のとおり、A子は、既に被害直後である五月二五日、高砂駅に降りるや否や、同級生に対し、泣きながら痴漢にあったことを訴え、翌二六日には通学途中の電車において原告を発見し、その旨同級生に述べたことなどの経緯に照らすと、A子が原告をその犯人と特定するまでの過程において、長時間の経過による記憶のあいまい化や変容など、原告を犯人と見誤った可能性が少なからずあることを認めるに足りる証拠はない。そして、緊急逮捕直前にもA子が車中から原告を犯人と特定したことは前述のとおりであり、また、前記一の1認定の事実によれば、A子は、鳥居前で、原告と近接した位置で車中から原告を識別したのであり、五月二六日から六月三日までの間、A子は一貫して原告を犯人と特定したことを考え併せれば、A子の前記供述の内容には、その信用性を疑うべき理由は格別認められないというべきである。以上によれば、原告の右主張は採用できない。

また、原告は、犯人の容貌などに関するA子の供述は不自然に変遷しており、原告の実像とも異なると主張する。しかし、前者の点については、犯人の主要な特徴に関するA子の供述は終始一貫するものであり、前後矛盾はないことは前述したとおりである。また、後者の点については、原告は、本件犯行が行われた五月二五日、通勤時に肩掛けカバンを持ち、ヘッドホンステレオを聴いていた旨主張するところ、原告本人はこれに沿う供述をし、甲第二号証にはこれに沿う供述記載部分が存するが、これを認めるに足りる客観的証拠はなく、採用することができない。したがって、原告の右主張も、理由がない。

(二) 「充分な理由」について

(1)  緊急逮捕の要件である「罪を犯したことを疑うに足りる充分な理由」(刑訴法二一〇条一項)とは、その文理上、通常逮捕の要件である「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」(刑訴法一九九条一項)よりも高度の嫌疑であることを要するが、そもそも逮捕は捜査の初期になされるものであり、その後の勾留を経て、公訴の提起・維持に必要な証拠を収集することを法は予定しているというべきであるから、その嫌疑は、有罪判決をするために必要な合理的な疑いを超える程度であることを要しないことはもちろん、勾留の要件である「罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由」(刑訴法六〇条一項)よりも低い程度で足りると解すべきである。

そして、逮捕及び勾留請求は、その時点において犯罪の嫌疑について相当な理由がありかつ必要性が認められる限りは違法とはいえず(最高裁昭和四九年(オ)第四一九号昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁)、その違法性の有無の判断は、逮捕及び勾留請求時に現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料に基づいてすべきであり、後日不起訴処分がなされたとしても、そのことから直ちに逮捕及び勾留請求が違法の評価を受けるものではない(最高裁昭和五九年(オ)第一〇三号平成元年六月二九日第一小法廷判決・民集四三巻六号六六四頁参照)。

(2)  前記一の1で認定したとおり、本件緊急逮捕当時、政所警部補らが現に収集した証拠資料には、原告を本件事件の犯人と識別する被害者A子の供述があり、右供述内容には、その信用性を疑うべき理由が格別認められないことは、前記二の1の(一)で判示したとおりである上、通常要求される捜査を遂行すれば、本件緊急逮捕時までに、右供述の信用性を疑わせるに足りる証拠を収集し得た事情も認められない。

したがって、本件緊急逮捕時に現に収集し得た証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料に基づいて判断すれば、原告の嫌疑について相当な理由があると認められるのであるから、本件緊急逮捕には、「充分な理由」が存在したものというべきであり、原告主張の違法があるとは認められない。

もっとも、本件事件の犯行に使用された錐のような刃物及び犯人が着用していた青色のシャツが結局発見されなかったこと、A子らが原告に対する告訴を取り消したことは前判示のとおりであるが、これらの事実が、A子の前記供述の信用性を疑わせる余地のある事実であるとしても、いずれも本件緊急逮捕時に現に収集し又は通常要求される捜査により収集し得た証拠資料からは判明し得ない事実であり、本件緊急逮捕の違法性に関する右判断を左右するものではない。

2  緊急性について

(一) 刑訴法二一〇条一項にいう「急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができないとき」とは、被疑者が逃走し又は証拠を隠滅する可能性が高いため、逮捕状を請求している時間的余裕がない場合を指すと解すべきところ(最高裁昭和三〇年(あ)第四五七号昭和三二年五月二八日第三小法廷判決・刑集一一巻五号一五四八頁参照)、前記一の1認定の事実によれば、原告は、政所警部補らの任意同行の要請に応じなかったこと、A子に対する犯行を否認したこと、政所警部補らの質問に対し住所や氏名を明らかにしなかったこと、末吉警部補の左脇を通って柴又駅改札口の方に足早に向かおうとしたこと、これを阻止しようとする政所警部補らと小競り合いになったことを認めることができるほか、本件事件は凶器を利用した強制わいせつの事案であり、被害者であるA子に対する証人威迫の可能性を考慮する必要があることを考え併せれば、逮捕状を請求した上で逮捕する手続をとったのでは、被疑者が逃走し又は証拠を隠滅する可能性が高く、政所警部補らにおいて、原告に対する逮捕状を請求する時間的余裕はなかったというべきである。

(二) 原告は、政所警部補に緊急逮捕と言われた後もその場を動かなかったし、警察官らは当初から原告を緊急逮捕する目的で逮捕現場に赴いており、現場の警察官の中には任意捜査の余地があると認識していた者があったにもかかわらず、本件緊急逮捕をしたなどと主張して、本件緊急逮捕は「急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができないとき」に該当しないにもかかわらずなされた違法なものであると主張する。そして、原告本人尋問中には原告がその場を動かなかった旨の供述が、甲第二号証中にも同旨の供述記載部分があるが、これらの供述は、証人政所壽保の証言に照らし、採用できず、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

また、政所警部補ら捜査官において、原告が任意同行に応じるときは任意同行するが、任意同行の要請に応じないときは緊急逮捕することもやむを得ないと考えていたことも前記一の1認定のとおりであるが、前記認定の事実によれば、原告は、犯行を否認し、任意同行の要請に応じることなく、住所や氏名を明らかにしないまま柴又駅改札口の方へ足早に向かおうとしていたのであるから、「急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができない」情況にあったものと認められ、政所警部補らが、任意捜査が可能であったにもかかわらず、当初の予定どおり本件緊急逮捕をしたとは認められないことは明らかである。

(三) そうすると、本件緊急逮捕は、緊急性の要件を備えていると解すべきである。

(四) なお、被告東京都は、原告の右主張が時機に遅れた攻撃防御方法の提出であり、右主張をすることに異議がある旨主張するが、原告の右主張により訴訟の完結を遅延させることとなるとは認められないのであるから、同被告の右主張は理由がない。

3  理由の告知について

(一) 緊急逮捕をするに当たっては、被逮捕者に対し、理由を告げることが必要であるところ(刑訴法二一〇条一項)、この理由の告知については、被疑事実の要旨及び急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができないことを告げるべきであり、この両者の告知のいずれか一方を欠いた緊急逮捕は違法と解すべきである(最高裁昭和二三年(れ)第一五四五号昭和二四年一二月一四日大法廷判決・刑集三巻一二号一九九九頁参照)。

そして、緊急逮捕は、重罪の被疑者に対し、急速を要する事態においてなされるものであるから、緊急逮捕の時点において、被疑事実の要旨及び急速を要することについて詳細な告知を要するものではなく、被逮捕者において、自らが逮捕される理由及び急速を要する事態であることを理解することができる程度の告知があれば、当該緊急逮捕は違法とはいえないと解すべきである。

(二) 本件においては、前記認定のとおり、政所警部補らは、原告に対し、「亀有署の者だが、五月二五日の朝、君は、京成線の柴又駅から高砂駅に向かう電車の中で、女子高校生に対して、錐のような凶器を使っていたずらしただろう。」、「君は、電車の中で被害者と向かい合って立っていたんだぞ、知らないはずはないだろう。嘘をついてはだめだ。」などと申し向けたのであるから、原告は、被疑事実の要旨を十分に理解することができたというべきである。そして、前記認定のとおり、原告は、政所警部補らの質問に対して住所や氏名を明らかにせず、同警部補らの任意同行の求めにも応じず、同警部補らとしばらく小競り合いの状態が続いた後、末吉警部補の左脇を通り抜けて足早に改札口に向かおうとした状況の下において、政所警部補らから緊急逮捕する旨を告知されたのであり、その被疑事実が錐のような刃物を用いた強制わいせつという重大な犯罪の容疑であることを既に告知されていたことを考え併せれば、右緊急逮捕する旨を告知されたことで、原告自身、同警部補らが逮捕状なしに逮捕行為に出るのが裁判官の逮捕状を求めるいとまのない緊急を要する事態によるものであることを十分理解することができたものと認められる。

したがって、本件緊急逮捕は、適法にその理由の告知がなされたものというべきである。

(三) 原告は、政所警部補らが原告に対し「緊急逮捕する。」と述べただけで、急速を要することを何ら告知していないのであるから、本件緊急逮捕は違法である旨主張するが、本件緊急逮捕においては、原告が、同警部補らが逮捕状なしに逮捕行為に出るのが裁判官の逮捕状を求めるいとまのない急速を要する事態によるものであることを理解し得る程度の理由の告知がなされていることは前判示のとおりであるから、本件緊急逮捕に原告の主張する違法は認められない。

(四) 被告東京都は、原告の右主張が時機に遅れた攻撃防御方法の提出であり、右主張をすることに異議がある旨主張するが、原告の右主張により訴訟の完結を遅延させることとなるとは認められないのであるから、同被告の右主張は理由がない。

また、被告東京都は、政所警部補が、原告を緊急逮捕するに当たり、原告に対し、「君は、住所や氏名を明らかにせず、任意同行にも応じない。それに突然立ち去ろうとした。」、「君には逃走と罪証隠滅のおそれがあるので逮捕するが、今、裁判官に逮捕状を求めることはできない。ここで緊急逮捕する。」と申し向けて緊急逮捕することを告知したと主張し、丙第九号証にはこれに沿う供述記載部分が存する。

しかし、前記一の1認定の事実によれば、原告は末吉警部補の左脇を通って足早に柴又駅の改札口へ向かおうとし、政所警部補らはこれを阻止するために原告と小競り合いになり、そのような状況の下で、政所警部補は、原告に対し、緊急逮捕することを申し向けたことが認められるところ、このような切迫した事態において、政所警部補が、原告を緊急逮捕するに当たり、原告に対し、同被告の主張するような詳細な告知をした上で身柄を確保したとするのは不自然であること、政所警部補は、証人尋問において、緊急逮捕の状況について詳しい供述をしており、被疑事実を具体的かつ詳細に告知した旨は供述しているのに対し、緊急逮捕の必要性を具体的かつ詳細に告知したことを窺わせる供述をしていないことに照らすと、右供述記載部分は容易に信用することができない。

4  以上によれば、政所警部補らがした本件緊急逮捕に違法はなく、原告の主張は、いずれも採用できない。

三  争点2(本件勾留請求の違法性の有無)について

1  犯罪の嫌疑について

(一) 検察官がした勾留請求は、前記二の1の(二)の(1) 説示のとおり、勾留請求の時点において犯罪の嫌疑について相当の理由があり、かつ必要性が認められる限り違法とはいえず、右違法性の判断は、検察官が勾留請求までに収集した証拠及び通常の捜査により収集しうべき証拠により判断されるべきであり、被疑者について事後的に不起訴処分がなされたとしても、そのことから直ちに、検察官の勾留請求が違法の評価を受けるものではない。

(二) そして、原告を本件事件の犯人とする被害者A子の供述内容にはその信用性を疑うべき理由も格別認められないことは前述のとおりであることに加え、前記一の1、2認定の事実によれば、<1>政所警部補の取調べに対し、原告は、事件当日柴又駅午前七時四一分発京成上野行き上り電車に乗ったことを認めたこと、<2>原告は、政所警部補に対し、自分の身長は一七八センチメートルであることを供述したが、これはA子が供述する犯人像と合致すること、<3>政所警部補は、六月八日午後三時三〇分ころから、原告の居室について捜索を実施し、青色ジーンズ、薄緑色の長袖シャツ(胸にラルフローレン社の商標であるポロマークが入ったもの)及び英語の本一冊を発見し、これを差し押さえたこと、<4>畝本検察官は、原告について弁解録取の手続をとったところ、原告は、事件当日に柴又駅発午前七時四一分の京成上野行き上り電車に乗車したこと及び事件当日は青色ジーパンを着用して通勤していたことを認め、さらに、自分は学生時代に五か月程度渡米した経験がある旨供述したこと、<5>弁解録取のときに畝本検察官が確認した原告の人相は、A子の供述内容と一致したことを認めることができる。

したがって、以上の事実によれば、本件勾留請求の時点においては、原告が本件事件を犯したことを疑うに足りる相当の理由があったというべきである。

もっとも、本件事件の犯行に使用された錐のような刃物及び犯人が着用していた青色のシャツが結局発見されなかったこと、A子らが原告に対する告訴を取り消したことは前判示のとおりであるが、これらの事実が、A子の前記供述の信用性を疑わせる余地のある事実であるとしても、いずれも本件勾留請求時に現に収集し又は通常要求される捜査により収集し得た証拠資料からは判明し得ない事実であり、本件勾留請求の違法性に関する判断を左右するものではない。

2  勾留の理由について

前記認定の事実によれば、原告は、畝本検察官の弁解録取に対し犯行を否認したこと、原告の犯行を立証するために不可欠な錐のような刃物などが、本件勾留請求までになされた捜索によっても発見されていなかったこと、被害者A子に対する証人威迫のおそれがあったことを認めることができ、これらの事実によれば、原告には罪証隠滅のおそれがあったというべきである。また、前記一の2認定の事実によれば、原告は独身であること、ヒューテック社に対しても捜索が行われたことを認めることができ、これらの事実によれば、原告には逃亡のおそれがあったというべきである。

したがって、原告には勾留の理由(刑訴法六〇条一項二号、三号)があったと解すべきである。

3  そうすると、畝本検察官が原告についてなした勾留請求に違法は認められない。

四  争点3(本件発言の有無)について

1  前判示の事実並びに証拠(甲二、丙四、証人政所、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(一) ヒューテック社の岡村総務部長及び伊藤顧問は、六月二一日、原告に対する捜査状況について説明を求めるため、亀有署を訪問した。

(二) 小野寺刑事課長とともに応対に当たった政所警部補は、岡村総務部長らに対し、<1>原告をA子に対する強制わいせつ罪の容疑で捜査したこと、<2>原告方居宅や原告の勤務先であるヒューテック社などを捜索したが、原告の犯行を直接裏付ける証拠を発見することができなかったこと、<3>被害者A子らが原告に対する告訴を取り消したため、原告は不起訴処分に付され、同月一八日に釈放されたことを説明した(<3>は当事者間に争いがない。<1>、<2>につき、丙四、証人政所)。

2  原告は、政所警部補が、岡村総務部長らに対し、「原告の釈放は告訴取下げによる釈放であって、警察としては原告を犯人だと考えている。」などと発言したため、原告はヒューテック社を退職することを余儀なくされたと主張し、原告本人はこれに沿う供述をし、また、甲第二、第四号証には同旨の供述記載部分が存する。

しかしながら、政所警部補は証人尋問において右事実を一貫して否定していること、原告の右供述は原告が直接体験した事実に関するものではないこと、原告の右主張は、ヒューテック社の直属の上司が釈放直後現職復帰を内諾していたところその態度が一変したことを根拠の一つとするものであるが、右内諾の点について、原告本人の供述のほかにはこれを認めるに足りる的確な証拠はないことに照らすと、原告の右供述及び右供述記載部分はいずれも信用することができず、採用しない。

3  そうすると、政所警部補の発言によって原告が退職することを余儀なくされたとは認めることができないから、原告の主張は理由がない。

第四結論

よって、その余について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないから、これをいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大竹たかし 裁判官 草野真人 裁判官 進藤壮一郎)

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